ふるさと山鹿の歴史

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清浦奎吾きようらけいご

大正たいしょう13ねん(1924ねん)、清浦奎吾きようらけいご熊本県出身くまもとけんしゅっしんとしてはつ内閣総理大臣ないかくそうりだいじんとなりました。

清浦奎吾きようらけいご嘉永かえい3ねん(1850ねん山鹿市鹿本町来民やまがしかもとまちくたみ明照寺住職みょうしょうじじゅううしょくの5なんとしてまれました。
16さいとき大分おおいた日田ひた私塾しじゅく咸宜園かんぎえん」に入門にゅうもん勉強べんきょう努力どりょくつづけて塾生最高じゅくせいさいこう地位ちいにつき、塾長じゅくちょう塾主じゅくしゅ)の代理だいりつとめるまでになりました。23さい上京じょうきょうし、小学校しょうがっこう校長こうちょうとして教育きょういくちからそそぎました。

そのあと官僚かんりょうから貴族院議員きぞくいんぎいんとなり、大臣だいじん枢密院議長すうみついんぎちょうなどを歴任れきにん。75さい総理大臣そうりだいじんとなったのです。

清浦奎吾の写真

清浦奎吾きようらけいご

清浦奎吾・熱海の写真

清浦奎吾きようらけいご熱海あたみ

清浦奎吾夫妻の写真

清浦奎吾夫妻きようらけいごふさい

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